金沢克彦の不定期コラム 第3回 花道

今年の1・4東京ドーム大会に火が点いたのは、あの人が入場ゲートに現れた瞬間だった。
プロレスラーではない。もちろん、テレビ朝日の解説についていた私は制作打ち合せの段階で知っていた。だけど、ファンには知らされていない。サプライズの演出だった。
第4試合。テッパン中のテッパンと言っていい鈴木みのるvs永田裕志戦。両者が対峙するだけで十分に雰囲気は出来上がるだろう。ところが、それ以前にドームの空間は完全に出来上がってしまった。

いきなりギターのソロ演奏。いったい何が始まるのか……まだファンには理解できない。
続いて、張りのあるハスキーボイスが響きわたった。中村あゆみだ。我々の年代からいくと、本格派のJ‐POPシンガ―でありながらアイドルでもあった。
大ヒット曲『翼の折れたエンジェル』を知らない人はまずいない。
いまどきの若者にとっては、鈴木みのるの入場テーマ『風になれ』を歌っているミュージシャンといった認識だろうか。どちらにしろ圧巻だった。

そういえば、5年前の後楽園ホールでも、あゆみさんはリング上で『風になれ』を歌った。
2008年6月17日、みのるの40歳の誕生日に開催された『鈴木みのるデビュー20周年記念興行』のメインイベント。
カードは、鈴木みのるVs高山善廣。あゆみさんは生歌でみのるを迎え入れるとともに、リングアナウンサーまでこなしている。そのとき、私はサムライTVの放送席で解説を務めていた。当初、あゆみさんは試合終了後、放送席に着く予定だった。
翌月発売の初のカバーアルバム『VOICE』のプロモーションを兼ねての話。だが、直前になっての予定変更。あゆみさんは来られないという。
じつは、前日から体調を崩しており39度の高熱に見舞われたまま会場入りし、本番に臨んだのだという。試合を見届けたらすぐに帰宅したいという話だった。あの歌声と笑顔からはとても信じられなかった。
プロだなあ。それしか言葉が浮かんでこなかった。

あれから5年、鈴木みのるは今年25周年を迎え、45歳になる。舞台は後楽園ホールから、3万人近い観客を飲み込んだ東京ドームへとスケールアップ。中村あゆみオンステージ。ウアッーという驚きの声から手拍子が巻き起こり、サビの部分では「かっぜになれー!!」の大合唱。
みのるの好きな二番もフルに歌われた。
「輝きの中を駈けてゆけー」
このフレーズと同時に、みのるはリングへと続く花道を速足で進んだ。中村あゆみと3万人の「かっぜになれー」の声と同時にリングイン。いつもなら戦争に向かうような眼をしているみのるなのに、リングインしたときの表情には爽やかな笑みが浮かんでいた。
またひとつ、夢が現実となった。

遡ること30年前、ラジオのオールナイトニッポンを聴いていて、『翼の折れたエンジェル』が耳に飛び込んできた。早速、みのる少年はレコード屋に向かった。曲のタイトルが分からないから「こういう歌なんだけど……」と店員の前で歌ってみせた。それが最初の出会い。
入門したての新弟子時代、新日本プロレス道場で個人練習をしているときは、ずっとあゆみさんのテープをラジカセでかけていた。
「なんだよ、こんなのかけやがって」
そう先輩に言われると、生意気な新弟子はいつもこう答えていた。
「いつか僕はこの人にテーマソングを作ってもらうんです!」

いつか、は本当に訪れた。1995年9月1日、日本武道館。みのるは第二代キング・オブ・パンクラシストとして、バス・ルッテンを相手に初防衛戦に臨んだ。その日、初めて『風になれ』をテーマ曲に入場している。結果はチョークスリーパーで敗れ、王座転落。そこから連戦連敗のスタート。
「もう使うのやめなよ、縁起が悪いんだよ。違うの作ってあげるから」
堪りかねたあゆみさんにはそう言われた。だけど、それだけはできない。なぜなら、あの曲の歌詞は鈴木みのるの思いそのままだから。もう、『風になれ』とは一心同体だったからだ。
パンクラス時代の晩年には加齢臭の漂う自分も感じた。見えないはずのゴールを勝手に定めたこともあった。
気が付くとゴールを意識したときから、もう10年が経っている。もちろん、どこにもゴールなんて見えやしない。みのるには“今”と“明日”しか見えていない。

2013年の1・4東京ドーム。みのるは最高の花道を歩いていた。
ここに至るまでの1年半、確かに葛藤もあった。それは2011年6月、5年間にわたり主戦場とした全日本マットを離れ、新日本プロレスに再上陸した瞬間から始まった闘い。
8月の『G1クライマックス』が終わり、都内のスタジオでG1クライマックス3D映画試写会に参加したあと、みのると2人で食事をした。
「新日本から5年離れてみて分かったことがあるんだよ。全日本ではトップをとっていた自負があるし、周りにも『武藤敬司と鈴木みのるは特別だから』という目で見られていたと思うんだ。だけど、それは新日本のファンには関係ないことなんだって。まだ首都圏の興行ならいいんだよ、ブーイングとかファンの反応が返ってくる。でも、地方だと俺が入場してもうんともすんとも反応がないこともあるんだよね。あ、これはもう忘れられているなって。ファンも入れ替わっているし、想像したものより厳しいなって。だから、考えかたを変えたんだよね。過去に新日本でやってきたことは全部なしにしよう、これはもうゼロから鈴木みのるを作っていこうってね」
決してネガティブな言葉ではない。現実を受け止めて分析した結果を踏まえ、新たな鈴木みのるを作る作業を楽しんでいこうという気概を感じた。
みのるの視界に映るのは、同世代の永田、中西、天山、小島ではなく、現在進行形の棚橋であり中邑、後藤、真壁といった面々。
「新日本を侵略しに来た!」
そう言って大見栄を切ったからには、標的は現在進行形の男たちなのだ。明けて2012年のみのるは、新日本マットの真ん中に躍り出ていた。
1・4東京ドーム。メインイベントでIWGP王者の棚橋弘至と対戦。棚橋にはIWGP防衛レコードのⅤ11が懸かっていた。最高のシチュエ―ションではないか?
新日本マットにカムバックして半年で答えを出した。
プロレス界最大のイベント、1・4ドームでメインの花道を歩いた。試合には敗れたものの、本来まったくタイプが違うと思われていた棚橋との間に、その後もドラマが生まれ、ストーリーを紡いでいくことになる。

8月8日、G1クライマックス。地元・横浜文化体育館での公式戦。棚橋から完璧なピンフォール勝ちを奪った。この実績がものをいって、10・8両国国技館で棚橋と3度目の一騎打ち。みのるはIWGPベルトより重いものを懸けていた。
「今のプロレスはサーカスだ。今のプロレスは曲芸だ。そう言っている昔のやつら、みんな黙らせてやる」
深く考えたわけではない。試合に向けて、タイトルマッチへ向けて、ひとつテーマを自分に課そうと思ったのだ。自分を奮い立たせると同時に、タイトルマッチへの煽りになればいいだろうという考えだった。だが、つねに時代と空気を読んでいる“みのる発言”は、本人の想像以上に反響を呼んだ。
「俺は今のプロレス界に生きている。今のプロレスを否定されるということは、自分を否定されることになる。体を痛めていない人間が、痛い思いをしていないやつが軽々しくプロレスをどうこう言わないでくれ。ファンはお金を払っているから、なにを言おうと自由なんだよ。アンタたちマスコミも仕事としてそれをやらなきゃいけない立場にいる。だけど、プロレスに関わっていた人間、元レスラーには言ってほしくない。それがいちばん腹が立つ」
そんな単純な思いから発したセリフだった。
ところが、対角線に位置するはずの中邑真輔までがみのるに同調した。
「鈴木みのるの発言は、棚橋も含めすべてのレスラーの気持ちを代弁したもの。彼は自分のプロレスに自信とプライドを持っている」
過去との闘い。歴史との勝負。棚橋弘至vs鈴木みのるのIWGPヘビー級選手権は、重い重い試合となった。29分22秒の激闘。相手をカバーしたのは、一度だけ。棚橋がみのるから3カウントを奪った瞬間だけだった。
ベルトより重いもの。過去と歴史との勝負に勝った。この試合をクギ付けになって観た人間は、みんなそう感じたはずだ。

年末の東京スポーツ『プロレス大賞』のベストバウトは、棚橋弘至Vsオカダ・カズチカ戦(6・16大阪ボディメーカーコロシアム)が獲得した。
ただし、週刊プロレスのファン投票によるベストバウト部門では、ダントツで棚橋Vs鈴木が選出された。
ネット発信者のファン246人が参加した『ネット・プロレス大賞2012』でも棚橋Vs鈴木がベストバウトを受賞。さらに、アメリカの『レスリング・オブザーバー』誌が全米ファンの読者投票により決定するアワード2012でも、棚橋Vs鈴木がベストバウトを獲得。
もうひとつオマケに、私が勝手に決定するGK金沢克彦ブログ『ときめきプロレス大賞2012』でも、棚橋Vs鈴木をベストバウトに選出している。

思いはファンと同じだった。そこで私流に講釈をたれるなら、あの試合は一期一会の闘いであったから。あの時代、あの瞬間、あのシチュエーションはおそらく二度とめぐってはこないからである。
多くの言葉は必要なかった。感じるままを口にしたみのる発言が、ファンの心を揺さぶり試合のテーマまで決定づけた。他のレスラーもファンもマスコミも、みのるが示したベクトルに向けて一緒に闘っているかのようだった。
全米のプロレスマニアまで魅了した一期一会の闘い。それこそレッドカーペットの花道を用意して、鈴木みのるを表彰してもいいのではないだろうか(笑)。
だけど、みのるは「フン」と鼻で笑いそう。一期一会ならもう終ったことだろ、俺は今を生きている、今はただアイツをブン殴りたいだけ。
そう言うに決まっている。

次のターゲットは目の前に現れた。レインメーカーことオカダ・カズチカ。
今年がデビュー25周年となるメモリアルイヤー。しかし、鈴木みのるに特別な感傷などない。自分がデビューしたころに生まれた25歳のオカダ・カズチカと“今”を懸けて闘うのみだ。

2013.02.06

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