金沢克彦の不定期コラム 第7回 インパクト

2020年1月、鈴木みのるはいま現在、例によって絶好調だ。オフの土曜日に、店長自ら『パイルドライバー原宿』の店番をひとりでやっていれば、客がひっきりなしにやってくるし、2月に入れば“あの男”がやってくる。
元WWEのトップスター。ディーン・アンブローズとして頂点に立ったジョン・モクスリーである。2月1日、2日の札幌大会(北海きたえーる)ではタッグマッチの前哨戦を行ない、9日の大阪城ホールではついに一騎打ちで相まみえる。
当日、モクスリーの保持するIWGP USヘビー級王座に挑む鈴木。日本人レスラーの鈴木がUSヘビー級ベルトに挑戦? そんな違和感はどうでもよい。要はタイトルマッチで箔をつけたことにより、さらに闘いへの機運が高まればいいのだ。
無論それだけではない。「俺はいまモテ期だからな。50(歳)代になってレスラー人生最大のモテ期なんだ」と豪語するみのる。実際、いま鈴木にはアメリカ、イギリスをはじめ海外4カ国から試合のオファーが次々と来ている。つまり、鈴木がUSヘビー級ベルトを保持していたとしてもなんら不思議ではない状況でもあるのだ。
モクスリーとのタイトルマッチが決まった1月8日には、こんなツイートをした。
「さぁ、今から1ヵ月。あいつをブチ殺すことだけ考えて過ごそう。なにこれ。ワクワクするんですけど。この先にはアレが…」
おいおい、俺らもワクワクするじゃないか? なんといっても1月5日、東京ドームで見せたインパクトが凄まじかったからだ。
1・4東京ドームでは、第2試合の8人タッグマッチ(鈴木軍vsロス・インゴ)に出場しただけで終わった鈴木。翌5日には試合カードに名前さえ入っていなかった。
と、思いきや、第4試合のUSヘビー級選手権(ジョン・モクスリーvsジュース・ロビンソン)の試合後、鈴木は堂々と花道の入場ステージから入ってきた。途中でジャージを脱ぐとなんと試合コスチューム。王座防衛に成功したモクスリーと対峙するとエルボー合戦からスリーパーホールド。そして間髪入れずゴッチ式パイルドライバーでKOしてしまった。
「おい、このクソ野郎。だれに喧嘩売ってんだ、この野郎! 俺はな、“プロレス王”鈴木みのるだ。こいつの売った喧嘩、俺が勝ってやる!」
ドームは大歓声、大拍手に包まれた。まさに千両役者か? 鈴木vsモクスリーのネクストへの期待感が完全に試合を食ってしまった格好だった。
ただ一点。喧嘩を売られた側が鈴木だということを観客は理解していたのだろうか? これは昨年12月8日、広島グリーアリーナ大会までさかのぼる。『WORLD TAG LEAGUE2019』最終公式戦でKENTA&高橋裕二郎を破った鈴木&ランス・アーチャー組。その直後に乱入してきたモクスリーは当時USヘビー級王者だったランスにデスライダー(高角度ダブルアームDDT)をお見舞いしてベルト挑戦をアピール。
それで終わればまだよかったのだが、なんとパートナーの鈴木にまでデスライダーを放ったのだ。そのとき、私は放送席でテレビ解説についていた。これにて、東京ドームでランスvsモクスリーのタイトルマッチ決定を煽るべきシーンである。
ところが、そんなフロアディレクターの意向にも構うことなく、私はモクスリーvs鈴木の刺激的初遭遇に関して声を大に煽ってしまっていた。
「鈴木も、モクスリーと喧嘩したがっていましたから、当然モクスリーは意識していたんでしょうね。こちらの対戦も今後どうなるのか見物ですよ!」
その話はもっとさかのぼる。モクスリーがまさかの新日本マット初登場を果たしたのは昨年の6・5両国国技館大会。まだ若いころにWWEの下部組織でともに汗を流していた仲間であるジュースのUSヘビー級王座に挑戦して、一発でベルトを奪取した。
ひさびさに現れた日本育ちではない米国産の超大物外国人選手。試合スタイルは殴る、蹴るが主体のラフファイターだが、レスリングの基本がしっかりしているし、元WWE王者だけに醸し出すオーラも半端ない。第1戦から日本のファンのハートを鷲づかみにしたといってもいいだろう。
じつは、この男の登場にすぐさま反応したのが鈴木みのる。
「言いたいことは言うことにする。クリス・ジェリコ、ジョン・モクスリーとケンカしたい。プロレスしたい。世界中が世界のプロレスファンがこれを見たがっている。世界が待っている。よく聞け! オレが日本の鈴木みのるだ!」
これは翌6日に鈴木がツイートしたもの。そこで本当に、このツイートが世界中のプロレスファンから支持されたのだ。つまり、「ジェリコ、モクスリーと鈴木の喧嘩マッチが見たい!」というツイートで溢れかえったのである。ちなみにジェリコは両国から4日後の大阪城ホールでIWGP王者オカダ・カズチカ(当時)への挑戦が決まっていた。
まずは、鈴木とモクスリーである。殴る、蹴るが基本。さらに場外で暴れまわる。もちろん、レスリングのベースはしっかりしている。そして一撃必殺のフィニッシャーを持っている。似ているのだ。似ているからこそ、鈴木の琴線に触れたのだろう。
そのときは、両者が対峙するチャンスがあるとすれば『G1 CLIMAX』だろうと思っていた。ところが、鈴木がまさかのエントリー漏れ。夢の喧嘩試合、殴り合いは持ち越しとなった。
今年の2・9大阪城ホール。モクスリーの日本上陸から8カ月越しで実現するドリームカードは、セミファイナルに組まれた。その後のメインは因縁の内藤哲也vsKENTAによるIWGPヘビー&インターコンチのダブルタイトル選手権。セミ前にはIWGPジュニアヘビー級選手権、高橋ヒロムvsリュウ・リーという鉄板カードがマッチメイクされている。
興行はミズモノでもあり絶対はないのだが、すくなくともファン、マスコミがもっとも期待し注目する試合は、モクスリーvs鈴木のUSヘビー級戦だろう。しかも、世界中のファンが待ち望んでいたカードなのである。
数日前に鈴木とすこしだけ電話で話すことができた。「過去がこうだったから試合が決まったとかはどうでもいいよ。過去のことは忘れたし興味ないからな」といつものみのる節がまず出てきたが、そのあとが予想以上に振るっていた。
「ジョン・モクスリー、あいつ今までの試合をみたら日本ですこし遠慮してるんじゃないか? もっとやれるだろう。今までの300倍の力で殴ってこいよ。それなら俺は300倍以上で殴り返してやるから。これは喧嘩だからな」
決して行き当たりばったりのカード編成ではない。8ヵ月前、鈴木が種を蒔いたところからスタートしている必然の対決。おろらく、我々の想像を超えるような闘いを見せつけてくれるのではないだろうか?

インパクトといえば、昨年の鈴木みのるはタイトル戦線にもほとんど縁はなかったし、おまけに『G1』にエントリー漏れという屈辱を味わっている。それでいながら、2019年が終わってみれば群を抜いた存在感と印象を残している。
8月12日、日本武道館。『G1』最終戦のリングで鈴木はザック・セイバーJr・とのタッグチームで、オカダ&棚橋弘至のコンビを撃破。しかも、鈴木がゴッチ式パイルドライバーでIWGP絶対王者(当時)オカダから完璧なピンフォールを奪ってのけた。
最後の最後で大逆転劇。鈴木は、新日本プロレスとオカダに対して、IWGPヘビー級選手権を要求。このインパクトは絶大であったと同時に、タイミングもピッタリと合った。
『G1』終了後、新日本は米国遠征(3大会)と、初のイギリス主催興行を控えていた。
試合会場となる英国ロンドンのザ・カッパー・ボックスはロンドン五輪のために建築された6000人を超えるキャパシティを持つ施設。イギリスのプロレス団体では使用することがない大会場である。
周知の通り、英国マットでの鈴木みのるはベビーフェイス、ヒールを超えた“凄玉”として絶大な人気を誇っている。とくに、石井智宏との壮絶な闘いは現地ファンのハートを完全に捉えてしまった。
まさにジャストタイミング。9・1(日本時間)ロンドン大会でオカダvs鈴木のIWGPヘビー級選手権が実現した。現地の試合時間は、日本では日付けが変わっての夜中から早朝に相当する。
その時間帯、私はテレビ朝日のスタジオに入り、現地から送られるライブ映像に解説を入れた。とにかく、みのる人気には驚いた。
日本人の姿はほとんど見られないのに、『風になれ』を英国人が最初から日本語でフルに合唱しているのだ。ロンドンっ子はみのるの楽しみかたを熟知していた。
あの強烈なエルボーを打つ瞬間、会場はシーンと静まり返り、「バチッ!」という鈍い音が会場に反響すると、大歓声を沸き起こる。鈴木にとっては日本以上のホームであり、オカダにとってはアウェイそのもの。
本当に見るもの聞くもの、すべてが新鮮で衝撃的だった。33分25秒の大激闘。結果はレインメーカーでオカダがⅤ3に成功。
ベルトは死守したものの想像を超えた鈴木人気と、「プロレス界最強のエルボー」(オカダ談)にオカダは驚きを隠せなかった。
この闘いにしても、もし日本で実現していたら『プロレス大賞』のベストバウトにノミネートされていたかもしれない。いやいや、みのるはベストバウトにも賞にも興味はなかった(笑)。なぜかって、「俺は毎日ベストバウトを更新しているから、今日の試合がベストバウト」となるからだ。
昨年度、鈴木みのるが残したインパクトで最大級のものが、因縁の獣神サンダー・ライガーとの一戦だろう。
昨年3月7日、年明けの東京ドーム大会で引退することを正式に発表したライガー。それ以降、鈴木は執ようにライガーを挑発し追いかけまわした。いま思えば、鈴木はライガーの引退試合、つまりファイナルの相手に立候補したかったのではないだろうか?
約4年前、2015年11月15日に両国国技館で天龍源一郎が引退試合を開催した。そのとき、対戦相手に立候補したのが鈴木だった。ところが、天龍が選んだ相手はまだ対戦したことのない新世代のトップをいく男、オカダ・カズチカだった。
天龍同様に、いや天龍以上にライガーは特別な存在だ。1987年3月に新日本に入門した鈴木は、強くなることだけを考えて先輩たちに次々とスパーリングを申し込んだ。
嫌がる先輩も多いなかで、逆に「よし、来い!」とかならず受けてくれたのがライガーと船木優治(現・誠勝)だった。ライガーとのスパーリングは新弟子時代から1年3カ月ほどつづいた。
その後、鈴木がUWFへ移籍して道が分かれるわけだが、2002年11月30日、横浜文化体育館で両者は再会。しかも、パンクラスルールでの総合マッチ。試合で両者が交わるのは初めてのことだった。
周知の通り、当時、頸椎ヘルニアで半ば引退を覚悟していた鈴木は、佐々木健介との対戦が決まっていた。ところが、健介が足の怪我を理由に試合をキャンセル。その代役を自ら志願したのがライガーだった。
この一戦は鈴木の運命を大きく変える。もう一度プロレスをやってみたい。ライガー戦を経て、新たな思いが芽生えた。そこから新日本マットにカムバックした鈴木は現在のプロレス王にまで上り詰めた。
「あの時期、『実は俺が思い描いていた新日本プロレスって、この人のことなんじゃないか?』ってすごく感じたんだよ」
当時をふりかえって鈴木は言った。ライガーはやはり恩人でもあるのだ。
引退試合の相手、フィナルマッチの対戦者とはいかなかったものの、昨年の10・14両国大会で両者は交わった。生涯3度目の一騎打ち。ライガーは覚悟の“バトルライガー”仕様でリングに上がった。
グラウンドでの取り合いがあって、場外戦もあった。打撃の攻防、意地の張り合い、場内は大ライガーコールに包まれた。
しかし、非情なエルボーを見舞ってから両手のクラッチを深く握ってのゴッチ式パイルドライバー。鈴木が去り行くライガーに引導を渡した。その後、大の字に伸びたライガーに追撃のイス攻撃を見舞うとみせかけておいて、イスを放り投げた鈴木はライガーに向かって正座し、深々と座礼をしてみせた。
新弟子時代のスパーリング後と同じパフォーマンスで相手に敬意を表したのだ。試合内容も現状のライガーをすべて引き出していたし、最後はどんでん返しのエンディング。ファン、マスコミ、ライガーと、みんなが鈴木みのるの掌に乗せられ、気持ちを大きく揺さぶられた。
この試合のインパクトも絶大だった。あとになって、この一戦の価値感はさらに急上昇した。新日本プロレスがオフィシャルの企画として行なったファン投票による獣神サンダー・ライガーのベストバウト総選挙。
その結果、ライガー31年の歴史上、この試合がベストバウト第1位に輝いたのだ。ちなみに第2位は橋本真也戦(1994年2・24日本武道館)、第3位はグレート・ムタ戦(1996年10・20神戸ワールド記念ホール)であった。
直近の試合ということもあるし、SNSによるファン投票となると、やはり若いファン層の票が多いだろう。ただ、それを差し引いても大変なことだと思う。
「思い出と闘ったって勝てっこねえんだよ」とは武藤敬司の名セリフ。つまり、思い出はつねに美しいまま記憶に深く刻まれているから、昔の思い出には勝てないという意味。
ところが、51歳にして現在進行形の鈴木みのるが50代半ばのライガーを相手に、思い出を凌駕してみせたのだ。
よく使われるインパクトの意味を日本語として訳すならば、「物理的、あるいは心理的な衝撃。また、その影響や印象」と辞書に書かれている。
それを考えると……まさに鈴木みのるという男そのものがインパクトであり、プロレス界において彼がもっとも衝撃を与え得る男だということがわかるだろう。

2020.01.14

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