金沢克彦の不定期コラム バックナンバー

金沢克彦(かなざわ・かつひこ)Profile

1961年12月13日生まれ。青山学院大学経営学部卒業。86年5月、新大阪新聞社『週刊ファイト』記者となる。
89年11月、日本スポーツ出版社『週刊ゴング』編集部へ移籍。99年1月〜04年10月まで編集長を務める。
05年11月に退社しフリーライターとなる。
テレビ朝日『ワールドプロレスリング』の解説を務めるなど口も達者。通称GK(=ゴング金沢)。
著書に、鈴木みのるとの共著『風になれ』(東邦出版)の他、『力説』(エンターブレイン)、『子殺し』(宝島社)。

こちらのコラムは不定期で更新いたします。

第5回 バッドエンド

鈴木みのるの薫陶を受けたプロレスラーのひとりに“女子プロ界の横綱”と呼ばれる里村明衣子がいる。過去に、鈴木とタッグを組んで高山善廣に真っ向から対峙していった経験もある里村。最近では、天龍源一郎の引退シリーズで天龍と二度対戦し、いまだ荒ぶるレジェンドのグ―パンチを食らいながら、鋭いローキックでダウンを奪ってもいる。
いま現在、新日本プロレスが新規ファン獲得に成功し、一種のプロレスムーブメントを作りだす中、女子プロ界はまだ眠ったまま。そこを指して里村はこう指摘した。
「向かい合った瞬間に突っかかっていくようなギラギラしたものが、誰にもないんです。いまの選手はみんないい人になりたい。ヒールもそれぞれいい人なんです。私が求めるのは、鈴木みのるさん。見ていて、気持ちいいぐらいの言動です」
里村からこの話を聞いたのは8月初旬のこと。ハッとした。特別な言葉ではないけれど、核心を衝いている。鈴木の本質を言い当てている。そうなんだ。男子も女子も関係ない。プロレスラーも一般人も関係ない。
みんな、いい人でありたい。人からよく思われたい。そのためには、一時しのぎのおべっかも使えば、心にもない言葉のフォローも飛び出す。プロレスラーでいうなら、試合後のマイクパフォーマンスの半分は言い訳と、解説とパブリシティーにあたる。
本来、プロレスラーにマイクはいらない。試合で見せて、肉体で表現してナンボの世界であるからだ。もちろん、鈴木だってマイクを持つ。だけど、彼の場合、そこに言い訳や解説はない。あるのは悪態と挑発。観客の憎悪をさらに煽るアジテーション。まあ、それもカタチを変えたパブリシティ―なのかもしれない。
「ブ―ブ―ブ―ブ―って、お前らブタかよ!人間の言葉でしゃべってみろよ。いいか、強い者が勝つんだよ。強さが正義なんだよ。だから、俺がこのリングの王様なんだよ! ス・ズ・キ・グン、イチバ~ン!!」
これが観客の怒りに一層拍車をかけるから、さらにブーイングと怒号は増して、モノまで飛んでくる。近年、ここまでファンの感情を揺さぶるレスラーはじつに珍しい。観客が本気で怒れば、鈴木もマジギレして立ち向かう。1人で数千人のファンに立ち向かい、口論を展開しているようなものである。その会場、いや戦場はいまプロレスリング・ノアである。
ここ最近のプロレス界……プロレス会場で沸き起こるブーイングというのは一種のお約束となってきた。ファンが一体となった選手への煽りでもあり、そこに憎しみの感情は存在しない。言ってみれば、試合をより楽しむためのブーイング。ファンが自ら試合を演出するスパイスの役目を果たしているのだ。
だから、新日本プロレスの絶対エースであり、ファンから抜群の信頼感を得ている棚橋弘至に対しても、対戦相手しだいで時にブーイングが浴びせられる。この手のブーイングは判官びいき以外の何ものでもない。棚橋もその反応を即座にキャッチして、その日の自分のファイトスタイルを変化させていく。
それ以外にブーイングが起こるとすれば、海外修行から凱旋し会社がプッシュしようとしている選手が期待に応えられなかったとき。いまをときめくオカダ・カズチカでさえ、帰国第1戦ではブーイングを浴びた。これらもまた日本マット界の恒例行事。あの武藤敬司だって、凱旋試合でブーイングを浴びている。これはもう新参者への洗礼と言っていいのだろう。
そういった類のブーイングとは明らかに一線をひいた鈴木と鈴木軍への反応。王道を掲げたジャイアント馬場の流れを汲み、三沢光晴(故人)というカリスマが立ちあげたノア。王道の延長戦で純粋培養されてきたファンたち。それを粉々にブチ壊してしまう鈴木という劇薬はあまりに刺激が強すぎるのだ。
ノアファンの怒りの度合い、飛び交う罵声、怒号はまるで昭和プロレスの風景。1970年代の新日本プロレスにまで一気にタイムスリップしてしまった感もある。こうなると鈴木の存在は現代版のタイガー・ジェット・シンの如しである。

それなら鈴木軍は、ラッシャ―木村率いる、はぐれ国際軍団か?
いや、国際軍団には会社が倒産したことにより行き場を失った者たちの哀愁がどこかに漂っていた。一方の鈴木軍に哀愁などは微塵も感じられない。彼らが発散する空気は、過信と思えるほどの自信と、傍若無人な態度であり、宣言どおりに団体の象徴(ベルト)を独占してしまう強さなのだ。
蹂躙された聖地ノアのリング。ビッグマッチの最後には本当の意味でのバッドエンドが待っている。そこにも懐かしい昭和プロレスの匂いが漂ってくる。スーパースターであるアントニオ猪木がマットに沈んだ日。勝ち誇るヒ―ルレスラー。信じがたい光景。だれもが本気でプロレスにのめり込み、本気でヒーローを応援し、本気で怒り、本気で悲しみに暮れていた光景が甦る。
バッドエンド=ハッピーエンドの反意語。辞書によれば、「バッドエンドとは、その名の通り、不幸・最悪な物語の結末のことである」と書かれている。バッドエンドがあるから、ハッピーエンドがより際立つ。最後は正義が勝つ。ふつうは、そう考える。ただし、鈴木みのるが叩きつける現実には、そんな甘っちょろい方程式は見えてこない。逆転なんか許さない、永遠に奈落の底に突き落としてやる。お前たちがぬくぬくと生きてきた結果がこの結末。当然の結果、必然の結末。鈴木はいつもそう訴えているように見えるのだ。
では、鈴木みのると鈴木軍がノア侵攻をスタートし、侵略、壊滅、沈没へと着々と歩を進めつつある、この1年弱の軌跡をいま一度振り返ってみたい。
スタートは昨年の6月だった。もしかしたら鈴木本人は否定するかもしれないが、5・3福岡大会から新日本マットに本格参戦したAJスタイルズが1発でオカダ・カズチカからIWGPヘビー級王座を奪取した事実が大きかったと思うのだ。AJというアメプロ界が生んだ逸材は瞬く間に新日本のトップに君臨し、彼を迎え入れたBULLET CLUBは新日本の名立たるベルトを総取りする。
そのAJと鈴木は『G1 CLIMAX24』公式戦(8・1後楽園ホール)で至極の名勝負を繰り広げ、日本のみならず世界をあっと言わせた。その一戦は米国レスリング・オブザーバー紙の年間ベストバウトにも選出されている。だが、そんなことは気休めにもならなかった。
昨年の9月9日、7年半ぶりに復刊した『ゴング』第0号が発売された。本の目玉は、当然のように『G1 CLIMAX24』。鈴木みのるの戦績は5勝5敗と振るわなかった。ただし、AJとの一戦は「鈴木みのる、ここにあり!」を世界に知らしめたのである。そこで、『ゴング』ではこの1戦だけで特集を組んだ。「110戦分の1の奇跡! AJvs鈴木戦を読み解く」と題して、AJと鈴木を個別に取材して奇跡の名勝負を検証した。
「スズキがパンクラスのシュートファイターであったことも、カール・ゴッチの弟子であったことも聞いていた。だけど、私もレスリングをずっとやってきたし、そういうスタイルは嫌いじゃないから。レスリングには、オールドスクールもニュースクールも関係ないんだ。基本は一緒なんだから、それだけの力量を持っているもの同士が闘えばトゥギャザーするんだよ。スズキとは表面的ではない、容量の大きな試合ができたと自負している。彼はグレートレスラーだよ。もっとストレートに言うなら尊敬の気持ちがある。今回、ファンは私とスズキの試合にいろいろなイマジネーションを抱いたと思うんだ。それを超えてみせたからこそ、最高のコンビネーション(組合せ)として成功したんじゃないかな」
私の問いかけにAJはよどみなく答えた。論理的な分析。スマートな男だった。すでに、鈴木戦が本国アメリカでも話題になっていることを彼は知っていた。 世界のAJが発した言葉。それを伝えたうえで鈴木にも回答を求めた。私の過剰な期待は見事に打ち砕かれた。鈴木の口は固かった。重いのではなく、固かった。

「勝たなきゃなんの意味もない」という勝負論の原点に返っていた。いや、それ以上の感情があるからこそ、キレイごとで収める気など毛頭ないと言っているようにも聞こえてきた。
「俺を尊敬してるって? そんな言葉は信用もしていない。試合が世界的に評価された? 嬉しくもなんともない。俺にとっては過去のことだから。AJがIWGPチャンピオンだから? それはある、大いにあるよ」
初めて鈴木が乗ってきた。そして、ついに本音が飛び出してきた。
「ここ最近ストレス溜まりまくってイライラしていた。ひとりでいる時間は、ほとんどそれを考えていたよ。『なんで、こんな状態なんだ!』って。それは鈴木軍のやつらには話した。それを変えるためにはどうするか、それでここに至っている。ファンには伝える必要はない。ただ、イライラの原因にAJもそう、BULLET CLUBも入っている。人の遊び場に入ってきて、なにを荒してくれてんだって。俺たちが占領していくはずだったものを、あいつらにぜんぶ獲られる。俺らはフリ―とはみ出し者だろ? いま求められてるのは結果だから。まあ、見てろよ!ってとこだな」
これが昨年8月アタマの話。鈴木のなかで、とっくになにかが弾けていたのだ。
鈴木自身は一昨年の11月、大阪府立体育会館で中邑真輔の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦して以来、タイトル戦線に顔を出すことがなかった。インターコンチネンタル王座は中邑カラ―に染まっており、中邑を軸に動いていた。
最高峰に位置づけされるIWGPヘビー級王座は、AJ、棚橋、オカダの3選手によるトライアングル抗争が続いていた。そのトライアングルにはだれも割って入る余地がないかのような図式ができあがりつつあった。
「なぜ、俺たちじゃないんだ?」
「なぜ、BULLET CLUBなんだ?」
「こいつらは二番煎じ、俺らの真似をしてるだけだろ!」
「なぜ、俺たちがポスターに載っていないんだ!?」
「なぜ、山手線の先頭車両に俺らがいないのか?」
「この10年、IWGPも三冠もGHCも大きなタイトルは俺中心に回ってきたはずだろ!?」
自問自答が続く。行き着くところは、新日本マットの中心軸にいる棚橋、中邑、オカダに対するジェラシーだった。
鈴木は10年後の自分を想像してみた。そのとき、10年後の自分が見えなかった。年老いた自分しか見えてこなかった。自宅の洗面所にある大鏡で自分の姿をまじまじと見つめてみた。
「なんかカッコ悪いな、俺」
鈴木はそう思った。10年後も当たり前のようにプロレス界のトップにいる。そういう自分であることを望んだときに答えが見えた。じつは、昨年6月に答えは出ていたのだ。
食生活を変え、トレーニング方法を変えた。半年後には明らかに身体が変わっていた。10年後を見据えたという鈴木の肉体。昨年末には、まるで15年前の鈴木みのるを見るように絞られていた。

そんなとき、獲物は向こうから飛び込んできた。今年の1・4東京ドーム。元パートナー同士で抗争を続ける矢野通(CHAOS)と飯塚高史(鈴木軍)。鈴木軍(飯塚&ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr、シェルトン・Ⅹ・ベンジャミン)に対抗して、Ⅹとなる3選手を矢野が呼びよせた。
それが丸藤正道、TMDK(マイキ―・ニコルス&シェイン・ヘイスト)のノア主力3選手。矢野のラインだから、おそらくノアのヒール軍からの選抜だと思っていたところへ、日本側のトップにして副社長と、外国人のトップチームが合流してきた。
鈴木と丸藤は過去にノアでチームを組んで、GHCタッグ王座を保持していた。タッグパートナーとしてイギリス遠征も経験している。当時は私生活でも意気投合していた。最近までたまに連絡も取り合ってきた。だから「あいつのことはすべて見えるし、考えていることもわかる」と言う。その丸藤が鈴木軍の敵にまわった。
「だから乗り込む。鈴木軍に売った喧嘩、俺が買ってやる」
異常にいきり立っていたのはノア勢にまんまとやられたKES(ランス&スミス)とベンジャミンだった。むしろ、鈴木は冷静だった。いや、冷静に見えた。ところが実際は、想像を超えた覚悟が出来上がっていた。

ドーム大会の6日後、マット界に激震が走った。予告はあったし、予想もされていた。しかし、まさか鈴木軍が総出でノアのリングを急襲するとは……。ボスの鈴木を先頭に、ランス、スミス、ベンジャミン、飯塚、TAKAみちのく、タイチ、エル・デスぺラードと、フルメンバーがノアのリングをジャックした。
軍団というより、団体そのものがまるまる乗り込んできたかのような光景だった。ここ数年で、秋山準、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志の離脱、KENTAのWWE(NXT)入団、のちの森嶋猛引退と、主力選手が続々と去っていくノアには、提携する新日本から永田裕志、小島聡らの第3世代、獣神サンダ―・ライガ―、タイガーマスクのレジェンド・ジュニア戦士、若手の田中翔、CHAOS時代の矢野&飯塚コンビなどが相次いで参戦している。
そういった友好関係とは明らかに一線を引く、殴り込み。メインで小島を破りGHC王座防衛に成功した丸藤を、鈴木はスリーパーからのゴッチ式パイルドライバーで完全KOしてのけた。
これがバッドエンドのプロローグ。ただし、私たちマスコミの人間も、熱烈ノアファンにしても、まだ淡い希望を持っていた。だから、完全な拒絶反応まではいっていなかった。
つまり、勘ぐった一般的な見方を捨て切れなかったのである。鈴木軍は人員過剰気味の新日本から、提携するノアに派遣されてきた。反対に、離脱・退団などにより選手数が減少したノアにとって、鈴木軍の参入は喜ばしいし、話題的に集客にもつながるし、新鮮なカードが実現するだろうというもの。
そういった見方を次々と鈴木軍は覆していった。ノアマットに乱入した直後、鈴木はこう言った。
「なにをどう言われてもかまわない。そんなことはどっちでもいいよ。『俺がノアをおもしろくしてやる』なんて気持ちもさらっさらないし。喧嘩するのに理由なんてないだろ? どれほどの宝(ベルト)か知らないけど、宝よこせって言ってるだけだから。あいつら、全員それにすがってるんだろ? 亡くなった人も含めて過去の人たちが作って来たステータスに乗っかって生きながらえようとしてるやつらにしか思えないよ、ノアなんて。宝を錆びつかせていることすらも、自分たちでわかっていない、お気楽な連中だよ。だけど残念ながら、俺がいるリングはおもしろいんだよ(笑)。これは俺が言ってるんじゃない、過去が言ってるんだよ。これまで俺が行って盛り上がらなかったところないもん。ぶっちゃけ、いまの新日本がこれほど盛り上がったのは俺のおかげだと思ってるからね。100%、俺のおかげ。だいたいノアで起こったことがこれだけ話題になるのって初めてじゃないの」
こういう分析は、理論的という。かなり強引だけれど、たしかに鈴木みのるがリングに上がれば、そこがメジャーであろうとインディーであろうと、スポットのワンマッチ参戦であろうと、試合は盛り上がる。たしかに、過去は語っているのだ。
劇薬ともいうべき鈴木軍を丸藤は受け入れた。ノアの副社長として、GHC王者として退くわけにはいかなかった。鈴木にとってはそこも計算通りだったのか? それ以来、後楽園ホールの集客は確実に伸びたし、マスコミの数も増えた。鈴木軍が参戦して最初のビッグマッチ、3・15有明コロシアムでも衝撃が待っていた。
GHC4大王座を鈴木軍が総取り。館内にノアファンの怒号が鳴り響いた。GHCジュニアタッグ王座は3WAY戦で行なわれ、TAKA&デスぺラードがベルト奪取。GHCジュニアヘビー級選手権では、タイチが十八番のブラックメフィストで小峠篤司を沈めた。
新日本ではベルト挑戦のチャンスさえ、なかなか廻ってこなかった男たちの戴冠劇。ただし、不思議なことはなにもない。ノアの大会では、タイチやTAKAのシングルマッチが後楽園ホールでふつうに組まれることもたびたびあった。あらためて、彼らの持つ本来の力量が際立ってくる。新日本での6人タッグや8人タッグの軍団対抗戦では見ることのできない実力、キャリア、上手さが垣間見られるのだ。

タイチにしても、メキシコCMLL遠征時代、1万6000人収容のアレナ・メヒコを超満員にしてメインを張った男。しかも、シングルマッチ(マキシモとの髪切りマッチ)である。ここ数年、新日本の並入るトップ勢がCMLLに遠征しているが、現地でもっとも支持を得ていた男は、タイチで、二番手が内藤哲也だった。
とくに、日本人離れした色白で端正なマスクに長髪をなびかせるタイチは、ルードながら女性ファンをくぎ付けにしていた。これまで過小評価されていたタイチの実力が存分に発揮された格好でもあった。
もちろん、その実力という言葉の中にはエゲツないほどに汚ない手のオンパレードも含まれている。ベルトで殴り、TAKA&デスぺラードを介入させ、真っすぐな小峠を翻弄したのだ。
ただ、考えてみてほしい。メキシコシティの1万6000人キャパの大会場でシングルのメインを張るということは、日本に例えるなら両国国技館、日本武道館、横浜アリーナでメインを飾るようなものなのである。5年前にタイチはそれをやってのけているし、いまCMLLに参戦すれば、即メインイベンターである。
すでに、2・11名古屋国際会議場でTMDKからGHCタッグベルトを奪取していたKESは、リターンマッチでも快勝し、初防衛に成功した。
トリで実現した丸藤vs鈴木のGHCヘビー級選手権。過去、同王座に3度挑戦している鈴木。時の王者は小橋建太、秋山準、杉浦貴だった。4年ぶり4度目の挑戦。ある意味、丸藤とは合わせ鏡の部分もある。相手が飛んだロープと同じ方向のロープに飛ぶ時間差ロープワークを始めたのは、ほぼ同時期。
一般的に考案者は丸藤とされているが、鈴木に言わせると「俺が先」だという。その真偽はともかく、鈴木の足の速さは驚異的だった。ロープワークはもとより、コーナーへのダッシュも速い。
相手の攻撃を交わすダッキングも紙一重で見切る。最初から頭を下げているのではなくて、相手の攻撃を最後まで見ながらサッと頭を沈めてバックにまわり、スリーパーに捉える。本物の技術は肉体改造とトレーニングから生まれるもの。口先だけではないことを痛切に見せつけられる。
さらに、飯塚の乱入を呼び込んで、アイアンフィンガーフロムヘルの一撃。これを受けてのゴッチ式パイルドライバーで、丸藤からベルトを強奪した。館内はブーイングと怒号に包まれた。険しい表情で鈴木に詰め寄る立会人の小橋。この2人は同期の間柄。鈴木が初めてGHCに挑んだ相手が小橋だった。
プロレス観も違えば、ル―ツも違う。なにもかも違う両雄でありながら、2人にしかわからない互いの感情が交錯する。
だが、結果は変わらない。4大王座を独占して勝ち誇る鈴木軍。一方、ユニットの壁を超えてリングに集結し大同団結を誓ったノア勢。それを鈴木はせせら笑う。
「すべてが想定内で想像以下だったな。危機感もなにもない連中の集まりだから。危機から目をそらしてすべて他人事にしてきたから、今の状況がある。ああいう連中だってことは、10年前からわかっていた。体質はなにも変わってなかった」
10年前といえば、いま現在業界をリードしている新日本が暗黒期と呼ばれるほど混乱を呈し、代わってノアが業界の盟主とされていた時代。鈴木が絶対王者こと小橋に初挑戦したころである。
「あの当時ノアには信者的なファンがついていて、選手も純血がほとんどで、みんなが団結しているように見せていたけど、実際は全然そうじゃない。一部の人間だけが船を進めるための仕事をしていたけど、それ以外の連中はただ船に乗ってるだけのやつがいかに多かったか。だからこの2カ月、丸藤が俺らにやられていても知らん顔してるやつばっかりだったじゃん。他人事だよ。あんなの一致団結じゃない、お互い助けを求めて、互助会を組んだんだよ。俺は10年前、小橋建太が絶対王者の時代に参戦したときから感じていた。それがなぜあんなに繁栄したか……あの船を機能させる要があったんだ。ノアの歴史を見てきた人ならみんなわかるだろ。要がなくなったら、すべてバラバラじゃないか。沈みだしたら1人抜け、2人抜け……いまいるのは逃げ遅れたやつらだよ。その要があったからノアは方舟だったんだよ。まさにいまは海に漂う漂流船。あとは海のゴミになるだけだ」
凄まじいまでにシュートな発言。ある意味、一線を超えている。鈴木はあえて“要”の意味を口にしなかった。そこだけは聖域、それは鈴木にとってもギリギリのラインで礼節を守りたかったからだろう。

要が、三沢光晴をさしていることは明白だ。鈴木が本音をぶちまけた2カ月後、丸藤とのリターンマッチが組まれた。5・10横浜文化体育館。特別な土地、特別な場所。プロレスラー・鈴木みのる(当時・実)生誕の地である。
TAKA&デスぺラードは、小川良成&ザック・セイバ―Jrの職人コンビを巧妙に下してGHCジュニアタッグⅤ2に成功し、タイチもらしさ全開で小峠をかえり打ちにしてGHCジュニアⅤ2を達成した。
KESは『グローバル・タッグリーグ戦』で敗れた弾丸ヤンキース(杉浦&田中将斗)の挑戦を受けたが、鉄壁のキラ―ボムを決めてリベンジ。GHCタッグ王座2度目の防衛に成功した。
鈴木軍の3連続防衛を受けて、メインは鈴木vs丸藤のリターンマッチ。セコンドの介入を阻止するために、立会人の小橋にレフェリーと同等の権利が与えられた。試合前、ベルト返還を促す小橋に向かって、ベルトを放り投げた鈴木。だれよりもGHCに愛着を持つ小橋が怒りの形相。こちらも完全にシュートなのだ。小橋がセコンド全員の退去を命じる。退去するまで一歩も退こうとしない。
観客が焦れてしまうほど時間を要したが、これもまた小橋たる所以だろう。融通が効かないほど真っすぐなところが小橋の魅力でもある。その神経をさらに逆なでするのが鈴木らしさ。まったく相容れない性格の同期同士が、こうして睨み合うからおもしろいのだ。
あれからわずか2カ月おいての一騎打ち。今回は介入なし、言い訳無用。25分を超える激闘を制したのはまたも鈴木だった。正攻法での完勝。丸藤を精神的にどん底に叩き落とした格好である。
またも鈴木軍がリングを占拠。これではファンも怒りのぶつけようがない。声も出ないというのは、こういう状況を指すのだろう。
「ノアは完全に沈没した! 制圧でも侵略でもない、壊滅だ」
そして、またも小橋と睨み合い。トップロープに座りこみ、「ベルトを持って来い!」と手招きする鈴木と、「そこから降りてここまで取りに来い!」とリング上で動かない小橋。この大人げないまでの意地の張り合いが、張りつめた空気を少しだけでも緩めてくれるのが救いなのかもしれない。
「俺が王様だ! ルールは俺が決める。ここにあるのは、俺が強いという事実だけだ」
バックステージで鈴木は王様宣言。この時点で、2015年上半期のMVPは間違いなく鈴木みのるだと感じた。
鈴木の2度目の防衛戦の相手は、マイバッハ谷口。横浜で丸藤を破った鈴木に手を出し挑戦表明、それを鈴木が受けた格好でタイトルマッチが決まった。『三沢光晴メモリアルツアー2015』の6・15大阪府立体育会館・第二競技場で行われたGHC選手権。自らマスクを脱いでペイント姿で大暴れを見せたマイバッハだったが、最後はゴッチ式パイルドライバーに沈んだ。
そこに登場したのが、金髪の大男。鈴木の盟友だった高山善廣だ。闘う戦場は違ってもしっかりと絆で結ばれていた両者だが、3・28後楽園ホール大会で高山が鈴木と決別。丸藤、杉浦と握手を交わし、ノアサイドで鈴木軍と対していくことを宣言している。
「三沢さんと自分が競った至宝(GHCヘビー級ベルト)を汚されたのが許せない」と高山が言えば、「あいつはもう使えないから鈴木軍から切った男」と吐き捨てる鈴木。完全に袂を分けた2人は、闘う宿命のもと対峙した。
厳しい闘いになることは両者とも覚悟の上だろう。最後の一騎打ちが、鈴木みのる20周年興行(2008年6・17後楽園ホール)のメインイベントだった。盟友であり遺恨があるわけでもないのに、拳を固めて殴り合う両雄。試合後、顔を腫らした高山はこう言った。
「鈴木みのるとの試合はある意味、総合(格闘技)に出るより覚悟を強いられるね」
あれから7年、最強にして最凶の外敵・鈴木軍のボスとノアの砦を死守するために立ち上がった帝王の激突。鈴木に言わせれば、「王は2人いらない」となるのだ。

7・18後楽園ホール大会は超満員の観客で埋まった。地方大会はまだまだなのだが、首都圏の会場における鈴木軍効果は絶大。鈴木軍の参戦以来、後楽園ホールは満員続きである。メインイベントは鈴木みのるのGHC王座3度目の防衛戦。挑戦者は高山。
そういえば、初めて2人がシングルで相まみえたのは、12年前の相模原大会のメインイベント。“復活”NWF王者の高山に鈴木が初挑戦した試合だった。会場には高阪剛も来ており熱心に観戦していたのを思い出す。あの試合をキッカケに2人は急接近し、徐々に会話を交わすようになり、友人・盟友となっていった。
時代と月日の流れ、立場、生きかた、仕事への意識……さまざまな要素は人と人との関係を変える。いや、もしかしたら変わらない2人だから闘うのかもしれない。いずれにしろ、リング上では阿鼻叫喚の地獄絵が描かれ、ノア史上最悪のバッドエンドが待ち受けていた。
帝王は帝王らしく1人で立ち向かう。防衛戦を王様ゲームと称する王は王らしく、子分たち(タイチ、デスぺラード)を巧妙に使う。
場外戦になると鈴木はパイプイスやゴングを持ちだし額へ攻撃。これで高山は流血し顔面が赤く染まる。そこへ鈴木はナックルを打ち込んでいった。エルボー合戦、張り手の応酬と、やはり特別な関係を垣間見る意地の張り合い。高山のエベレストジャーマンが決まった。勝負ありか? だが、カウントを数える西永レフェリーの足をデスぺラードが引っ張って阻止する。
雲行きが怪しくなってきた。双方のセコンド陣がやり合う中、ふたたびジャーマンスープレックス狙いの高山を背後から飯塚が襲撃。イスで脳天をメッタ打ちにすると、金具の部分がヒットしたのか高山が後頭部から大流血。
金髪が赤に変色し、リングに血だまりができあがる。鈴木がトドメとばかり右ストレートを顎へ叩きこみ、スリーパーからゴッチ式パイルドライバー。高山はKO状態でダウン。大ブーイングの客席から次々と物が投げ込まれる。リング上はペットボトルとゴミの山。不穏な空気のなか、泣いている観客もいる。
ブチ切れたファンが「鈴木、オマエはカッコ悪い!」と連呼している。ノアで暴動寸前の雰囲気を味わうなど、過去に例がないことだ。鈴木軍がノアに侵攻してから半年、ファンの怒りの感情は沸点に達した感じ。
そこへ、次期挑戦をアピールするため、杉浦が現れたため、多少空気が変わった。さて、鈴木はこの試合をどう語ったのか?
「なんで物を投げるんだよ? おひねりか? 最近はプロレスブームだとか言ってよ。俺は見たぞ、てめえらが報道しているのを。最近のプロレスは怖くないんです。最近のプロレスは血なんか出ないんです。最近のプロレスは難しい関節技とか、マニアックな技はやりません。キレイな空中殺法だけです。イケメンしかいません。おいおいおい、どの口が言ってんだ? 俺がな、血ヘド吐いて生きてきたプロレスはそんなものどこにもなかったぞ。これもプロレス、それもプロレス、あれもプロレス、全部プロレスじゃねえかよ。2人の男が闘えば、それはすべてプロレスなんだ。ダンスじゃねえんだ、お遊戯じゃねえんだよ。殺し合いをしてんだよ。客も舐めた口を利いているんじゃねえぞ。こっちは命懸けでリングに上がってんだよ。俺が強かった、あいつが弱かった。ただ、それだけだ。それ以外の理由なんてどこにもありゃしねえ」

いま、この時代、おそらく暴動なんてあり得ない。それなのに、それに近い空気を作り上げてしまう鈴木軍の手法、手段には表裏一体ながら強烈なプロ意識を感じずにはいられない。
そのプロ意識が他のレスラーたちを凌駕しているからこそ、ノアの興行で鈴木軍のメンバーが登場してきた途端、空気がガラリと変わるのだろう。飯塚の一撃はアクシデントとなる。しかしながら、アクシデントもまた現実にリングで起こったこと。試合の一部なのである。
なにがあろうと、なにが起ころうとも、鈴木みのるが鈴木みのるを崩すことはない

2016.1.6

第4回 レインメーカー

2月3日、後楽園ホール大会の試合前、いつもマスコミ勢がたむろしている通路に鈴木みのるがやってきた。
当日の昼、同じ会場でZERO1のTVマッチ(サムライTV)の解説があったから、私は珍しく早めにホールに戻っていた。
周囲に人が多いとき、みのるはあまり話しかけてこない。さすがに共同インタビュー(囲み取材)で、からんできたり恫喝されたりすることはないものの、試合後の花道は要注意。鈴木軍の退場時に花道後方あたりに不用意に立っていようものなら、視線を逸らせてもダメ。気付かないふり作戦も、カーテンに半身を隠す作戦も通用しない。
不意にみのるに胸ぐらを掴まれメンチを切られる。明らかに観客の大多数から目の届く範囲だから、困りもの。とりあえず、無言でにらみ返すしかない。
これだけで済めばいいのだが、ボスに続けとばかり、なぜかTAKAみちのくが私の太腿に蹴りを見舞っていく。さらに、調子に乗ったタイチまで蹴ってくる。
みのるは仕方がない。私のオブジェ作戦(!?)を見逃してくれないところは、タイガー・ジェット・シンばりなのだが、彼の視界に入ってしまったことを悔やむしかない。まあ、TAKAも百歩譲って許そう。かれこれ20年弱、旧知の仲でもあるからだ。
ただし、タイチはNGだろう。いくらなんでも調子に乗りすぎ。虎の威を借りるなんとやら……ボスの威を借りるタイチ。
「タイチ、おまえはダメだ!」。意気揚々と階段を下りていくタイチの背中に向かって、私は思わず釘を差してしまう。
会場でまったく接触がないこともあれば、こんな不意打ちでの接触もある。まあ、胸ぐらを掴んでのひと睨みもみのる流の挨拶代わりというところか。
そして、ごく稀にけっこう中身のある雑談を交わすこともある。それがたまたま、まだマスコミが数名しか集まっていない2月3日だった。

「どう? 本(鈴木みのるの独り言100選)は売れてる?」
「ああ、初動がよかったらしいから結構いい数字だって聞いてるよ」
「そういえば、今年は……」
「そう、25周年だよ、俺も」
「デビュー20周年記念興行をここでやってからもう5年かあ……早いねえ。25周年記念で興行はやらないの?」
「45(歳)になって、すぐ25周年になる。最初は考えていたんだけど、興行はやらないことにした。なんか別の形で商品展開とかはしていくかもしれないけどね」
「なんで試合はやめたの? お客さん入るよ、間違いなく」
「いや、だからカードが思い浮かばない。25周年の記念だからコレだ!というカードや対戦相手が出てこないんだよ」
「たしかに20周年で存分に見せてしまったもんなあ。モーリス(・スミス)とやって、高山善廣とガチガチの試合やって、じゃあ、他に誰かいるの?って」
「うん。だから思い浮かばないものを無理に作ってもしょうがない、思い浮かばないってことは、やる必要がないってことなんだよ」
なるほど。この感性もみのる流だろう。

2008年6月17日、後楽園ホール。40歳のバースデイに開催した20周年記念興行。メインイベントは高山とのゴッツゴツの一騎打ち。一方で、まさかのモーリス・スミスを招聘して、5分1ラウンドのエキジビションマッチも敢行している。
1980年代、世界最強のキックボクサーと称され、90年代、2000年代に入っても総合格闘技のリングで活躍したモーリス。初対決でモーリスによって天狗の鼻をへし折られたみのるは、それをキッカケに本物の強さを追い求めるようになった。その思いがパンクラス設立へとつながっていったし、「打倒!モーリス・スミス」は鈴木みのるという人間が生きていくうえで、最高のモチベーションになりえた。
エキジビションとはいえ、14年ぶりに宿敵とリング上での再会。みのるはここ一番でしか着用しない勝負タイツ、白のショートタイツで臨んでいる。
前年7月、自分が保持する三冠ヘビー級王座を賭け、武藤敬司と初めてシングルで相まみえて以来の白タイツだった。
つまり、今年の25周年記念を迎えるにあたり、今のところ白タイツを着用するに相応しい男は見当たらないということ。

少し前の話になるが、プロレス界で独自の価値観を追い求める中邑真輔が、鈴木みのるというレスラーをこう評していた。
「鈴木みのるという人はガツガツしていますね。ヘタしたらヤングライオンよりガツガツしているし貪欲だと思いますよ」
真輔もまた我が道を突き進む男。異端児は異端児を知る? 真輔らしい表現だった。この「ガツガツしている」にはいろいろな意味が込められていると思う。
失うものもなければ、守るものもないから、針の穴ほどのチャンスでも見つけたら、前へ前へと食らいついていくのが若手であるヤングライオンの特権。貪欲でなければ、上には行けないし、出世の糸口は見えてこない。
みのるにはキャリア25年にして、同じかそれ以上の貪欲さが垣間見える。失うものも大きいし、守るものもある。それなのに、彼の貪欲さは衰えるどころか増すばかりという印象。そこには、確固たる信念の裏打ちがあるから。

8年前、天龍源一郎の一言を聞いて目からウロコを感じた。「俺らはフリーとして生き残っていかなければいけない……」とみのるが言いかけたとき、天龍はこう釘をさした。
「いや、鈴木選手、生き残っていくんじゃない。生き抜くんだよ! 生き抜いていかなきゃいけない」
この一言がみのるに与えた影響は大きい。ほんの少しの表現の違いのようでありながら、じつは大きな違いが潜んでいる。
「生き残る」には、失うことを恐れる保守の姿勢も感じられるが、「生き抜く」には周囲の評価に左右されず信念をもって突き進む……つまり失ったら、また取り戻せばいいという姿勢と感覚、心構えを感じるのだ。

貪欲な鈴木みのるは2年前、新日本マットに単身再上陸を果たし、これまた生き抜こうと必死のTAKAみちのく、タイチを子分に従え、さらにランス・アーチャー、デイビーボーイ・スミスJrの大型外国人2強を駒に加え、鈴木軍を結成。いつの間にか、鈴木軍は強大な一大勢力に成り上がっていった。
リング上だけではない。試合前、試合後と時間を見つけては会場入り口の売店に立って、鈴木軍のグッズ販売を行なう。強制されているわけでもないし義務感からでもない。それだってリング上と同様。自分たちの食いぶちは自分で確保する。生き抜くために、売店に立つ。
例えば、プライベートでの鈴木みのるはファンの記念撮影やサインのリクエストには一切応じない。その代わり、グッズ購入者にはきちんとサインを入れる。そこで、鈴木みのるとしてのケジメというか、線引きをしている。生き抜くことと、価値観を保つことのバランス感覚にも長けているのだ。

話を戻そう。2・3後楽園ホール。この日は、鈴木軍vsCHAOSの全面対抗戦の第2ラウンド(6人タッグマッチ)が組まれていた。やはり注目は未知なる遭遇となる、みのるvsオカダ・カズチカにある。
「こっちは25周年で、向こうは25歳か? 楽しいねえ(笑)」
「フン、そんなのたまたまじゃねーか」
そこで私がパンフレットを取り出して確認しながら、さらに突っ込む。
「えー、鈴木みのるのデビューは1988年6月23日で、オカダの誕生日は1987年11月8日だね。だけど、もともと鈴木みのるのデビュー戦は87年11月19日の予定だったから、オカダの誕生日とほとんど同じだったわけだよ!」
「そんな話もち出してどうすんだよ? たまたまじゃんか。ただの数字だよ。これだから古い人間、ジジイは困るんだよな(苦笑)」
そう、古い人間は数字にこだわるし、なんでもかんでも因縁めいたものに感じてしまう。念のため、前出の話に解説を加えておくと、みのるのデビュー戦は、新日本とUWFが業務提携していた時代、UWFが主催興行を開催した1987年11月19日、後楽園ホール大会で内定していた。
もっと分かりやすく言うなら、あの『前田、長州顔面蹴撃事件』が勃発した興行である。
ところが、その直前に新弟子の鈴木みのるが問題を起こした。船木優治(誠勝)らとともに六本木で泥酔し路上で大乱闘。警察の御厄介となり、会社から謹慎処分を食ってしまったのだ。
その話だって、今になって思えば奇跡的なこと。本当なら、あのプロレス史に残る大事件の日がデビュー戦の日となるはずだったのだから。

私の勝手な因縁作りや妄想はともかくとして、みのるvsオカダ闘争にはあっという間に火が点いた。当日、みのるがゴッチ式パイルドライバーで外道を沈め、鈴木軍が勝ち誇る。これに対して、沈着冷静がウリのレインメーカーが吠えた。
「広島のカード、決まってないよな? シングルマッチでやろうぜ! 俺とアンタのレベルの違い見せつけてやるよ!!」
これにて、2・10広島で初の一騎打ちが決定。メインのIWGPヘビー級選手権(棚橋弘至vsカール・アンダーソン)以上の刺激的カードがラインナップされた。
この一戦、私は現地に取材には行っていないので、PPV中継で観戦している。お互いにすべてを出し切ってはいないように映った。出し切る前にみのるが勝負をつけた――そんなふうに見えた。
むしろ試合そのものより、試合後の勝者・みのるのコメントに響くもの、説得力を感じた。
「おまえ、25歳だってな? キラキラキラキラ体にまとって、カッコいいな。素直に言うよ。25歳のときの俺よりプロレス上手いかもしれない。キラキラしてるもんな? だけどな、25歳のときの俺はギラギラしてたぞ! 小僧、プロレス舐めんな。誰よりも高いドロップキックやる、誰よりも歓声を受ける、それがプロレスか? 違うよ。誰よりも強いのがプロレスだ。どんなに痛くても立ち上がるのがプロレスだ。これが本音だ。アイツは一生、俺には勝てない」

25歳の鈴木みのる。確かにギラギラしていた。1993年9月、パンクラスを旗揚げしたとき。第1回『UFC』に先駆けて、世界で一番早く総合格闘技ルールをプロレスのリングに導入した。翌94年5月、生涯の宿敵であるモーリス・スミスから3度目の対戦にして勝利をもぎとった。
プロレス界に革命をもたらし、明日をも知れぬリングに命を賭けていた。その自負がある。だからこそ、こんなセリフも付随して出てきた。
「おまえら、キャリアって何か分かるか? キャリアは経験だ、キャリアとは知識だ。この意味わかるか? 殺されそうになったことねえやつが、もし殺されそうになったらって、防災のために練習したってできるか、そのときに? それがあるやつとないやつの違いだ。これは俺がプロレスを辞めない限り、抜かれることはない」
レインメーカーは会社が総力を結集して作り上げた“張子の虎”とでも言いたげだった。
ただし、レインメーカーはやはりタダものではなかった。3月に開催された『NEW JAPAN CUP』で一夜にして矢野通、後藤洋央紀を連破して優勝。IWGPヘビー級王座挑戦権を手に入れると、4・7両国大会の大一番で絶対王者と化していた棚橋をファール。再び玉座に君臨した。
次の瞬間、すぐにリベンジへと動く。王者が自ら挑戦者・鈴木みのるを指名した。
「鈴木さん、アナタにはこれから僕が作る歴史のほ~んの小さな踏み台になっていただきます」
「おまえが降らす金の雨は偽札じゃねえか」
舞台は必然の結果として整った。そこに世代闘争という意味合いはまったく存在しない。いま現在の最強を廻っての対決。
その証拠に、この1年余で3度もIWGPに挑戦しているのは、オカダとみのるの2人だけ。ただし、オカダは2度結果を出しているが、みのるは過去2度(棚橋戦)とも敗れている。
その一方で不思議なのは、結果こそ出ていなくても、みのるが挑むIWGP戦にはつねに特別な意味合いを感じること。そこはやはりみのるが発するメッセージがスパイスとなり、自然とテーマになっていくからなのだ。
奇しくも、2・3後楽園ホール大会で私がみのるに言ったセリフさえも、周囲はひとつのテーマとして取り上げ始めた。キャリア25年と25歳のチャンピオン。周囲が煽れば、みのるだってほんの少しは乗っかってみせる。
「こっちはあいつの生きてきた人生の分、まるまるプロレスやってっから。まあ、奇跡の数字の組み合わせだよ(笑)」

世代闘争ではない、今を賭けた25歳vs25年。5・3福岡国際センター。6800人、超満員の観客で埋まった『レスリングどんたく2013』のメインイベント。
腕殺し、スリーパー。スリーパー、腕殺し。まるで鈴木みのるによるなぶり殺しか? じわじわと真綿で絞めつける様にオカダを追い込んでいく。レインメーカー、陥落寸前……。
25年分のキャリアが25歳に襲いかかる。
そこで、みのるに唯一の誤算。25年の傷痕がうずき出す。17年前に負った頸椎ヘルニア。
一度は引退を覚悟させた古傷が痛みだす。
キャリアは肉体を消耗させる。それもまた事実なのだ。と、同時に「どんなに痛くても立ち上がるのがプロレスだ」という、もうひとつの見せ場をみのるは見せる必要に迫られた。
試合は30分を超えた。事実上、止めとなった「スペシャルな技」は、オカダによるゴッチ式ツームストントン・パイルドライバー。さらに、追い打ちのレインメーカー。
25年分の痛み、苦しみの洗礼を受けながら、25歳のレインメーカーが雪辱を果たした。
試合後の鈴木みのる。「あんな小僧の技なんか効くわけねぇーだろ!」
思いっ切り強がりと負け惜しみと大人げなさを全開にしながら、フラつく足取りで控室へ消えていった。強がり、負け惜しみ、大人げなさ……これだって、みのるの最高の魅力。
なぜなら、負けを認めた時点で終わりなのだから。ずっと強さを追い求めてきたプロレスラーが負けを認めたら、その時点で終わり。
まだシリーズは続く。また明日から強さを追い求める闘いが始まるのだ。

その8日後、みのるは日本武道館のリングに立っていた。小橋建太の引退試合。この業界で唯一の同期だった男がリングを去る。その大会のセミファイナル(鈴木みのる&丸藤正道vs高山善廣&大森隆男)を任された。
絶対に交わることのないと思われていた小橋とは、2005年1月9日、ノアの日本武道館大会で対戦した。小橋の保持するGHCヘビー級選手権に挑戦し剛腕を食らって敗れた。
試合後、みのるはこう言った。「おもしろいもの、見~つけた!」
同期のスーパースター、みのる曰く「マット界で唯一のベビーフェイス」は最高の幕切れをもってリングに別れを告げた。
だからこそ、みのるはまだまだ闘い続ける。マット界一、いや“世界一性格の悪い男”として、業界のトップに居続けなくてはならない。今を生き抜かなければいけないのだ。

2013.05.15

第3回 花道

今年の1・4東京ドーム大会に火が点いたのは、あの人が入場ゲートに現れた瞬間だった。
プロレスラーではない。もちろん、テレビ朝日の解説についていた私は制作打ち合せの段階で知っていた。だけど、ファンには知らされていない。サプライズの演出だった。
第4試合。テッパン中のテッパンと言っていい鈴木みのるvs永田裕志戦。両者が対峙するだけで十分に雰囲気は出来上がるだろう。ところが、それ以前にドームの空間は完全に出来上がってしまった。

いきなりギターのソロ演奏。いったい何が始まるのか……まだファンには理解できない。
続いて、張りのあるハスキーボイスが響きわたった。中村あゆみだ。我々の年代からいくと、本格派のJ‐POPシンガ―でありながらアイドルでもあった。
大ヒット曲『翼の折れたエンジェル』を知らない人はまずいない。
いまどきの若者にとっては、鈴木みのるの入場テーマ『風になれ』を歌っているミュージシャンといった認識だろうか。どちらにしろ圧巻だった。

そういえば、5年前の後楽園ホールでも、あゆみさんはリング上で『風になれ』を歌った。
2008年6月17日、みのるの40歳の誕生日に開催された『鈴木みのるデビュー20周年記念興行』のメインイベント。
カードは、鈴木みのるVs高山善廣。あゆみさんは生歌でみのるを迎え入れるとともに、リングアナウンサーまでこなしている。そのとき、私はサムライTVの放送席で解説を務めていた。当初、あゆみさんは試合終了後、放送席に着く予定だった。
翌月発売の初のカバーアルバム『VOICE』のプロモーションを兼ねての話。だが、直前になっての予定変更。あゆみさんは来られないという。
じつは、前日から体調を崩しており39度の高熱に見舞われたまま会場入りし、本番に臨んだのだという。試合を見届けたらすぐに帰宅したいという話だった。あの歌声と笑顔からはとても信じられなかった。
プロだなあ。それしか言葉が浮かんでこなかった。

あれから5年、鈴木みのるは今年25周年を迎え、45歳になる。舞台は後楽園ホールから、3万人近い観客を飲み込んだ東京ドームへとスケールアップ。中村あゆみオンステージ。ウアッーという驚きの声から手拍子が巻き起こり、サビの部分では「かっぜになれー!!」の大合唱。
みのるの好きな二番もフルに歌われた。
「輝きの中を駈けてゆけー」
このフレーズと同時に、みのるはリングへと続く花道を速足で進んだ。中村あゆみと3万人の「かっぜになれー」の声と同時にリングイン。いつもなら戦争に向かうような眼をしているみのるなのに、リングインしたときの表情には爽やかな笑みが浮かんでいた。
またひとつ、夢が現実となった。

遡ること30年前、ラジオのオールナイトニッポンを聴いていて、『翼の折れたエンジェル』が耳に飛び込んできた。早速、みのる少年はレコード屋に向かった。曲のタイトルが分からないから「こういう歌なんだけど……」と店員の前で歌ってみせた。それが最初の出会い。
入門したての新弟子時代、新日本プロレス道場で個人練習をしているときは、ずっとあゆみさんのテープをラジカセでかけていた。
「なんだよ、こんなのかけやがって」
そう先輩に言われると、生意気な新弟子はいつもこう答えていた。
「いつか僕はこの人にテーマソングを作ってもらうんです!」

いつか、は本当に訪れた。1995年9月1日、日本武道館。みのるは第二代キング・オブ・パンクラシストとして、バス・ルッテンを相手に初防衛戦に臨んだ。その日、初めて『風になれ』をテーマ曲に入場している。結果はチョークスリーパーで敗れ、王座転落。そこから連戦連敗のスタート。
「もう使うのやめなよ、縁起が悪いんだよ。違うの作ってあげるから」
堪りかねたあゆみさんにはそう言われた。だけど、それだけはできない。なぜなら、あの曲の歌詞は鈴木みのるの思いそのままだから。もう、『風になれ』とは一心同体だったからだ。
パンクラス時代の晩年には加齢臭の漂う自分も感じた。見えないはずのゴールを勝手に定めたこともあった。
気が付くとゴールを意識したときから、もう10年が経っている。もちろん、どこにもゴールなんて見えやしない。みのるには“今”と“明日”しか見えていない。

2013年の1・4東京ドーム。みのるは最高の花道を歩いていた。
ここに至るまでの1年半、確かに葛藤もあった。それは2011年6月、5年間にわたり主戦場とした全日本マットを離れ、新日本プロレスに再上陸した瞬間から始まった闘い。
8月の『G1クライマックス』が終わり、都内のスタジオでG1クライマックス3D映画試写会に参加したあと、みのると2人で食事をした。
「新日本から5年離れてみて分かったことがあるんだよ。全日本ではトップをとっていた自負があるし、周りにも『武藤敬司と鈴木みのるは特別だから』という目で見られていたと思うんだ。だけど、それは新日本のファンには関係ないことなんだって。まだ首都圏の興行ならいいんだよ、ブーイングとかファンの反応が返ってくる。でも、地方だと俺が入場してもうんともすんとも反応がないこともあるんだよね。あ、これはもう忘れられているなって。ファンも入れ替わっているし、想像したものより厳しいなって。だから、考えかたを変えたんだよね。過去に新日本でやってきたことは全部なしにしよう、これはもうゼロから鈴木みのるを作っていこうってね」
決してネガティブな言葉ではない。現実を受け止めて分析した結果を踏まえ、新たな鈴木みのるを作る作業を楽しんでいこうという気概を感じた。
みのるの視界に映るのは、同世代の永田、中西、天山、小島ではなく、現在進行形の棚橋であり中邑、後藤、真壁といった面々。
「新日本を侵略しに来た!」
そう言って大見栄を切ったからには、標的は現在進行形の男たちなのだ。明けて2012年のみのるは、新日本マットの真ん中に躍り出ていた。
1・4東京ドーム。メインイベントでIWGP王者の棚橋弘至と対戦。棚橋にはIWGP防衛レコードのⅤ11が懸かっていた。最高のシチュエ―ションではないか?
新日本マットにカムバックして半年で答えを出した。
プロレス界最大のイベント、1・4ドームでメインの花道を歩いた。試合には敗れたものの、本来まったくタイプが違うと思われていた棚橋との間に、その後もドラマが生まれ、ストーリーを紡いでいくことになる。

8月8日、G1クライマックス。地元・横浜文化体育館での公式戦。棚橋から完璧なピンフォール勝ちを奪った。この実績がものをいって、10・8両国国技館で棚橋と3度目の一騎打ち。みのるはIWGPベルトより重いものを懸けていた。
「今のプロレスはサーカスだ。今のプロレスは曲芸だ。そう言っている昔のやつら、みんな黙らせてやる」
深く考えたわけではない。試合に向けて、タイトルマッチへ向けて、ひとつテーマを自分に課そうと思ったのだ。自分を奮い立たせると同時に、タイトルマッチへの煽りになればいいだろうという考えだった。だが、つねに時代と空気を読んでいる“みのる発言”は、本人の想像以上に反響を呼んだ。
「俺は今のプロレス界に生きている。今のプロレスを否定されるということは、自分を否定されることになる。体を痛めていない人間が、痛い思いをしていないやつが軽々しくプロレスをどうこう言わないでくれ。ファンはお金を払っているから、なにを言おうと自由なんだよ。アンタたちマスコミも仕事としてそれをやらなきゃいけない立場にいる。だけど、プロレスに関わっていた人間、元レスラーには言ってほしくない。それがいちばん腹が立つ」
そんな単純な思いから発したセリフだった。
ところが、対角線に位置するはずの中邑真輔までがみのるに同調した。
「鈴木みのるの発言は、棚橋も含めすべてのレスラーの気持ちを代弁したもの。彼は自分のプロレスに自信とプライドを持っている」
過去との闘い。歴史との勝負。棚橋弘至vs鈴木みのるのIWGPヘビー級選手権は、重い重い試合となった。29分22秒の激闘。相手をカバーしたのは、一度だけ。棚橋がみのるから3カウントを奪った瞬間だけだった。
ベルトより重いもの。過去と歴史との勝負に勝った。この試合をクギ付けになって観た人間は、みんなそう感じたはずだ。

年末の東京スポーツ『プロレス大賞』のベストバウトは、棚橋弘至Vsオカダ・カズチカ戦(6・16大阪ボディメーカーコロシアム)が獲得した。
ただし、週刊プロレスのファン投票によるベストバウト部門では、ダントツで棚橋Vs鈴木が選出された。
ネット発信者のファン246人が参加した『ネット・プロレス大賞2012』でも棚橋Vs鈴木がベストバウトを受賞。さらに、アメリカの『レスリング・オブザーバー』誌が全米ファンの読者投票により決定するアワード2012でも、棚橋Vs鈴木がベストバウトを獲得。
もうひとつオマケに、私が勝手に決定するGK金沢克彦ブログ『ときめきプロレス大賞2012』でも、棚橋Vs鈴木をベストバウトに選出している。

思いはファンと同じだった。そこで私流に講釈をたれるなら、あの試合は一期一会の闘いであったから。あの時代、あの瞬間、あのシチュエーションはおそらく二度とめぐってはこないからである。
多くの言葉は必要なかった。感じるままを口にしたみのる発言が、ファンの心を揺さぶり試合のテーマまで決定づけた。他のレスラーもファンもマスコミも、みのるが示したベクトルに向けて一緒に闘っているかのようだった。
全米のプロレスマニアまで魅了した一期一会の闘い。それこそレッドカーペットの花道を用意して、鈴木みのるを表彰してもいいのではないだろうか(笑)。
だけど、みのるは「フン」と鼻で笑いそう。一期一会ならもう終ったことだろ、俺は今を生きている、今はただアイツをブン殴りたいだけ。
そう言うに決まっている。

次のターゲットは目の前に現れた。レインメーカーことオカダ・カズチカ。
今年がデビュー25周年となるメモリアルイヤー。しかし、鈴木みのるに特別な感傷などない。自分がデビューしたころに生まれた25歳のオカダ・カズチカと“今”を懸けて闘うのみだ。

2013.02.06

第2回 チャンピオン・ベルト

先だっての5月2日、愛知県体育館で浜亮太を破った鈴木みのるが2年8カ月ぶりに三冠ヘビー級王者に返り咲いた。右膝手術による武藤敬司の長期戦線離脱、小島聡の電撃退団発表と現在の全日本プロレスは激動・激震に見舞われている。そんな状況下、みのるが頂点に立ったわけだが、私に言わせれば必然の戴冠劇。
一般的に“激動・激震”と“必然”ではイコールに程遠い言葉となるのだが、三冠ヘビー級王者=鈴木みのるに関しては必然という単語がもっとも相応しいと思う。

かつて外敵、外様、フリー戦士と呼称されていたみのる。だが、全日本マットをここ数年見守ってきたファンにとって、今のみのるの存在はすべての枠を超えた絶対エースと映るだろう。紛れもなく彼が全日本マット全体をリードしている立場にあるし、今回3本のベルトを手にした直後に太陽ケア、曙、船木誠勝との共闘を宣言したのもサプライズとは思わない。その後、諏訪魔率いる新世代軍に「昨日今日プロレス始めた奴がプロレスを語るな!」と宣戦布告したのも必然の流れだ。
つまり、今のみのるにとってそこに3本のベルトがあるのは特別なことでもなんでもない。絶対的エースとしての必然なのだから、力む要素すら何もない。
では、この瞬間、みのるは何を思っていたのか?勝手に推理するなら、この瞬間やっと船木を超えたことを実感できたのではないだろうか?いやいや、こんな話を本人に振るともう大変だ。「フン、勝手に言ってろって。恥をかくのは書いた人間だから俺は関係ねえよ!」と鼻で笑うに決まっている。だから、これは私の勝手な理屈付けである。とにかくこの日、鈴木みのるは永遠の目の上のタンコブであった船木誠勝を超えてみせたのだ。

まず、ここ2カ月の激動期を少し振り返ってみたい。
3・21両国大会の金網マッチ、4・11JCBホールの『チャンピオン・カーニバル』優勝決定戦と、みのると船木はまさかの2連戦を決行した。みのるは22年のプロレスラ―人生で培った引き出しを次々と開けて船木に対していった。その結果(1勝1敗)は別として、この闘いを体感したことで悩める船木は完全に蘇生している。みのるとの2連戦を経て、明るさと輝きを放ち始めたのだ。今までブラックホールの如く相手の光を消す闘いしか知らなかった男に、みのるが初めてプロレス本来の楽しさと厳しさを教え込んだと言っていいのかもしれない。

4・29後楽園ホール。みのると船木が初タッグを結成する当日、試合前の船木はにこやかにこう言っていた。
「毎日キツイし無我夢中だけど楽しいですよ。実は俺、今まで自分の試合をビデオとかで一度も見直したことがないんです。それは観てしまうと多分、ここがダメだからこうしなきゃとかそんな点ばかり見つけてしまうと思うから。今はこれでいいから、行ける所まで突っ走りますよ。プロレスと格闘技をやってきた財産と、その時の感性で走ります。もしどこかで怪我とかしてストップしてしまったら……そこからまた考えればいいんですから」
真っ黒に日焼けした船木の顔から松崎しげるばりの白い歯がこぼれる。その笑顔には一点の曇りも感じられなかった。完全に吹っ切れたのだろう。

考えてみると、みのるとチャンピオン・ベルトの関係は元々、みのると船木の関係そのものであった。
鈴木みのるが初めて巻いたベルトは第2代キング・オブ・パンクラシストのベルト。95年の5・13東京ベイNKホール大会で無敵のウェイン・シャムロックを下し王者となった。この時、みのるの胸中に去来した思いは「初めて船木さんを追い越した」である。だが、それが転落の始まりでもあった。当時、バッキバキのハイブリッドボディを誇り、人気俳優の的場浩司似とも言われていたみのるを世間は放っておかなかった。例えば女性ファション誌『an・an』の抱かれたい男ランキングでは堂々とベスト5に入っており、なんとキムタクよりも上位。周りはすべて芸能人だから、本当にとんでもない快挙である。
これでテングになったかどうかは分からないが、リング上では4か月後の初防衛戦(vsバス・ルッテン)に敗れ、その後、頸椎ヘルニアを発症してさらなる地獄を味わう。しかし、転落の発端は「船木を超えた」という達成感に満たされたことで、目標を失ってしまったことにあることは明らかだった。
「実際は追い越してなかったし、超えるものじゃなかったんですよ。でも俺の中の目標は、新弟子時代いつもランニングしている時に見ていた(船木の)背中だったから」
おそらく、この経験からみのるはチャンピオン・ベルトの怖さや、チャンピオンであることの意味合いを痛感したのだろう。

だからこそ、初めて三冠ヘビー級王座に挑む(06年9・3札幌大会/vs太陽ケア)前に、みのるはこう言っていた。
「初めてベルトを獲った時に勉強したんだろうね。ベルト、タイトルを目標に生きてきて、それを持った時に目標がなくなって……『大事なのは獲ることじゃないんだ』って。それは目標にするものじゃなく、後からついてくるもの。レスラーとして絶対に大前提にしなきゃいけないことは、まず『相手に勝つこと』で、その上の世界として『客を満足させるだけの技量があるかどうか』っていうのがあって、ベルト云々はそのさらに先にポツンとあるもの。やっぱり俺にとって大事なのは『今この瞬間が一番大事』なんであって」
パンクラス時代、勝負論だけで生きてきた男が、新日本、ノア、全日本の三大メジャーのリングを渡り歩き、辿りついた答えがそこにあった。
そして、三冠王座を1発で奪取したみのるは、伝統と格式に包まれた3本のベルトをブンブンと振り回し、踏みつけにして、花道の特設ステージに無造作に並べた。そこへ津波のように押し寄せるファンに向かってみのるはこう訴え掛けた。
「なあ、ベルトがすげぇーんじゃないだろ?強い奴がすげぇーんだろ!?」
さらにバックステージでは、マスコミ陣をこう諭している。
「大事なのは歴史なんかじゃない。今この瞬間、頑張っているから、今この瞬間、闘って二本足で立っているから強いんだろ?」

そして、チャンピオンとなったみのるは、また別次元の作業に着手し始めた。
ベルトの価値を上げることではなく、ベルトを利用してタイトルマッチの注目度、ひいては全日本マット全体の注目度を上げる。つまるところ、それは自分自身の価値を上げることでもあった。
みのるの第一次政権は翌07年、8・26両国大会で佐々木健介に敗れるまでの約1年間。19年のライバルストーリーを持つ健介との試合も凄まじかったが、なんといっても5度目の防衛戦となった武藤敬司との正真正銘の初一騎打ち(同年7・1横浜大会)が印象深い。完璧に整った舞台で全知全能と全体力を駆使した闘い。武藤敗北という予想外の結末に加え、フィニッシュ技がヒールホールドというサプライズ。私的観点からいくと2000年代……つまりこの10年でNo.1の名勝負だったと思う。

ここで、またみのるは何かを学んだし、「俺はすべての面で武藤敬司に負けない!」という自信も掴んだ。そして、ベルトから離れていた2年8カ月、みのるの基本姿勢は決してブレることはなかった。必然として、時は来たのだろう。武藤不在の全日本マットを自らリードしていこうと決めた瞬間、ベルトがついてきた。そこに同志として船木誠勝という男も飛びこんできた。結果的に、本当の意味で船木を超えていたこともこれで証明された。

さて、もう間もなくワクワクするようなマッチアップも見られる。5・9大阪大会。そこは、アントニオ猪木のリングであるIGFだ。
三冠王者・みのるのパートナーは、新日本の至宝・IWGPジュニア王座を巻く丸藤正道(※前日、新日本のJCBホール大会でタイガ―マスクとの防衛戦を控えているが)。かつて、ノアマットでGHCジュニアタッグ王者に君臨したチームが猪木のお膝元で復活する。しかも、対戦相手は未知の小川直也(パートナーは澤田敦士)ときた。
プロレスを舐め切った知名度抜群のプロレスラー(?)小川に対し、骨の髄までプロレスラーのみのると丸藤は何を見せつけてくれるのか?
結果論として二大メジャーの象徴的ベルトをたまたま巻いているわけだが、この2人が現プロレスシーンを牽引している両雄であることは、ベルトの有無に関わらず誰もが認めるところだろう。

2010.05.04

第1回 ヒール

今年の初場所で幕内通算25回目の優勝を飾った横綱・朝青龍が、場所中に起こした泥酔暴行騒動の責任をとる格好で遂に引退へと追い込まれた。横審(横綱審議委員会)の前委員である内館牧子さんは「品格に欠く」と度々、朝青龍を糾弾してきたが、この横綱はそんな声もどこ吹く風で土俵内外を暴れ回ってきた。ともかく人気は絶大。大相撲の世界で、しかも横綱という最高位にありながら“ヒール”と呼ばれた力士は、この朝青龍が最初で最後となるだろう。そういえば、初場所優勝セレモニーの際に、東京都知事杯を贈呈するため土俵に上がった猪瀬直樹副知事は、「ヒールが強くなければおもしろくない! おめでとう」と目立とう精神まる出し、実にKYな一言を添えつつ都知事杯を手渡していた。

もともとヒールというのはアメリカのプロレス界から生まれたスラング(隠語)である。ほんの数年前までは、プロレスに関わるごく一部の人間だけしか使うことのない俗語だった。それが天下のNHKが全国区で生放送する大相撲の優勝セレモニーの中で、しかも副知事の口から堂々と発せられるのだから恐ろしい。今やヒールなる言語はすっかり市民権を得て、相撲界の隠語であった“ガチンコ”と並ぶ一般用語になってしまった感がある。

さて、そこで本題だ。泥酔暴行騒動、品格、そして内館牧子さん、おまけにヒールというフレーズが続けば、皆さんはおそらく、いや間違いなく、あの男の顔を思い出すに違いあるまい。我らが鈴木みのるである。
そう、みのるは地方巡業でしょっちゅう泥酔暴行騒動(?)を起こしている。といっても、この場合、いつも酔った勢いでNOSAWA論外が、「鈴木さん、殴り合いしましょうよ!」となぜか親分のみのるに決闘を申し込む。売られた決闘を買わねば男がすたるとばかり、みのるは二つ返事でそれを買う。まあ、結果は予想通り。子分のパンチはかすることもなくかわされ、いつも気持ちいいほどにNOSAWAがボコられてお終いなのだ。まさに師弟のボディランゲージともいえるが、あまり美しい話ではない。まあ品性というか、品格には欠く。あっ、そうそう品格といえば、それをプロレス界で初めて指摘された人物もみのるだったではないか! しかも、『プロレス大賞』特別選考委員を務める、かの内館さん直々のお言葉だった。遡ること3年数カ月前、鈴木みのるはプロレス大賞のMVPに選出された。その時、内館さんが「MVPとしてはちょっと品格に欠けるのではないか?」というような問題提起を投げ掛けたのである。
プロレスラーと品格。
決して永遠にイコールで結ばれることはないであろうテーマが浮上してくると同時に、鈴木みのるはプロレス界の頂点に立った。品格とは無縁と思われる世界で品格を疑われた男がMVPに輝いたのだ。

次なるキーワードがヒールである。これもまた遡って、06年12月半ばのこと。ちょうど、みのるのMVP受賞が決まった直後の話だ。私は某誌の企画により赤坂プリンスホテルの会議室でアブド―ラ・ザ・ブッチャ―と対談していた。
ブッチャ―といえば、タイガー・ジェット・シンと共に、日本マットが生んだ二大ヒールの一翼であり、馬場体制・全日本プロレスを躍進させた最大の功労者でもある。知名度は抜群で、頭もスマート。当然のように、ビジネス観に関してはシビアそのもの。どんな話題を振っても、結局、彼のファイナルアンサーはすべて「マネー」(=金のため)だった。ただし、一つ気付いたことがある。ブッチャ―の回答がすべて「マネー」であったとしても、彼が指すものは物質的なお金そのものではなく、対価としての価値観なのだろうと思ったのだ。つまり、お金がプライオリティなのではなく、お金こそが彼のアイデンティティの象徴なのだ。
フォークを手に暴れ回り、額に幾筋もの深い溝を作って稼いだ金は、実に尊いような気がした。そんなことを思っているうちに、この日本マットに品格を問われるMVP男が現れたことをブッチャ―に知ってもらいたくなった。
「ブッチャ―さん、今年のMVPを獲った鈴木みのるという選手をご存知ですか?」
「スズキ……いや、知らないね」
「彼も、ブッチャ―さんがテリ―・ファンクをフォークでメッタ刺しにしたシーンを少年時代にテレビで観て、それからプロレスファンになったというんです」
「そうか(苦笑)。で、そのスズキはヒールなのかい? ベビーフェイスなのか?」
「コレは英語でどういうのかなあ? 彼は“世界一性格の悪い男”と呼ばれていて(笑)……あまり反則攻撃をしたり凶器を使ったりはしないけど、発言とか試合態度がとてもストレートに意地悪で新しいタイプのヒールじゃないかと」
「こんど観てみたいな。とにかくスズキは客を呼べる男だってことだろ? じゃあ、どっちにしろ彼はスター選手なんだよ」

その1年後のことだった。劇的に両者は遭遇する。07年10月、全日本プロレスの代々木大会でタッグマッチながら初対決。しかも試合後、みのるはブッチャ―に歩み寄ると握手を交わし、合体を表明。翌月の『世界最強タッグ決定リーグ戦』へのエントリーまで勝手にぶち上げた。この時点で、まだブッチャ―の方は鈴木みのるの何たるかを理解していないようだったが、みのるは喜色満面。
「すげえー面白いオモチャ見つけちゃったよ。あのブッチャ―だぜ! 最強タッグはこのオモチャを使って存分に遊ばせてもらうから」と独特の言い回しを駆使して珍しく熱弁を振るった。
さらに、その3週間後のこと。新木場1stRINGという小さなハコに、突然ある男が現れた。ブルーザ―・ミノディという鈴木みのる似の男。というか、故ブルーザ―・ブロディをみのるがパクッて、パートナーはタカン・ハンセン(高山善廣)……つまり鈴木&高山が懐かしの超獣コンビを再現したのである。このブロディがまた激似だった。チェーンの振り回し方から、客席に躍り込んで「ウォッ! ウォッ!」とシャウトする様から、片足踏み切りドロップキック、コーナ―へのビッグブーツ、そしてキングコング・ニ―ドロップと一連の完コピぶりには驚かされた。まあ、このブロディという男も時代を彩ったヒールの凄玉である。
あとで聞いてみると、「なんせ昨日、20分もビデオで研究したからな」とみのるは涼しい顔をしていたものの、実際は3時間近くも昔のブロディの試合映像を観て、その特徴を研究していたらしい。
この話は、まだ終わらない。その2週間後、みのるとコンビを組んで『最強タッグ』に出場するブッチャ―が来日。たまたまテレビのCS放送(サムライTV)を観たブッチャ―はまん丸の目をさらに丸くした。本物より小柄だが、ブロディそっくりの男がファイトしている姿を目に留めたのだ。試合前の控室でブッチャ―がその話を振ってきた。「ミスター・ブッチャ―、アレは俺だよ」とみのるが言うと、ブッチャ―のまん丸の目はさらにもっと丸くなった。
「そうか! アレはユーか。ソックリだったよ、フランクに。あんまり似ているんでビックリした。俺はこの通りもうトシだからあんまり動けない。その分、今回のツアーではユーがリードしてくれると期待しているよ」
その言葉通りに、みのるから見たブッチャ―は最高のオモチャだったし、ファンから見れば生きる伝説そのもの。大歓声の中、連日フォークを手に生き生きとリング内外を暴れ回った。そして、いつの間にか、みのるのことを「ティ―チャ―」と呼び始めた。試合の作戦から何からすべてみのるが考えて、リードしてくれたからだ。
レジェンド・ヒールのブッチャ―から「先生」と呼ばれたら、みのるも悪い気はしないだろう。ちょうど1年前、私が「鈴木みのるを知っていますか?」と質問したことをブッチャ―は思い出してくれたろうか? 新しいタイプのヒールという表現を理解してくれただろうか?

ここ最近、ヒール側へと区分けされる日本人レスラーが急増してきた。凶器は使うし、反則・乱入はお手のもの。それなのに、「普段はとてもいい人」だとか「ファンには優しい」なんて評されるレスラーは最悪だ。それじゃあ、「仕事で悪役やってます」と言っているようなものだし、見え透いていて面白くもない。
みのるを見ろ! Tシャツを購入したファンにもあんまり優しくないし、マスコミにも媚を売らない。基本的に態度がデカくて、意地悪で、感情剥き出しに笑ったり怒ったり……そのくせ時にホロリとくるような言葉をマイクを通して訴えたりもする。作りものではない、その場の生の感情をぶつけるプロレスラ―が鈴木みのる。それは普段の彼の生き方そのもの。これが新しいヒール像といえるのかもしれないし、少なくとも他の誰にも真似のできないプロレスである。

新日本プロレスの練習生だった18歳の頃も、キャリア20年を超え四十路に入った今も、私の中のみのるは何も変わらない。顔を合わせれば、「おお、オッサン!」と、まずは悪態から始まる(笑)。この真っ正直な“悪童”は、どこのリングに上がろうと誰を相手にしようとも光り輝いている。

2010.3.21

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